AURA〜魔竜院光牙最後の闘い〜を観てきた。

上映後、映画館を出たにわかっぽい男二人が「そもそも『AURA』ってなんだよ」とかのたまってたけどAURAってのはオーラの別の読み方。映画中にも多少触れられているし現実にも社会や趣味を共有し合う気の合う仲間と集まって形成するグループの中にも自然と先頭に立つようなカリスマを持った存在が持っているオーラのこと。本作ではこのAURAの存在が生きている中で恐らく最も重要視されている高校生のクラスの中での物語。


この物語は元々はライトノベルとして出版されていて自分は今まで数えられる程度しかライトノベルを読んだことがなかったんだけど著者が自分が敬愛してやまない田中ロミオその人だというから手に取ってみた次第で、読みきりの1冊のみだったこともあり買ったその日に読了してまた読み直す作業に入るくらい物語の世界に没頭してしまった。
具体的には主人公の心情や環境に共感を得てしまって、自分は今まで私生活で色々な人と知り合う機会が沢山あり、そういった環境の中で刺激を受けて良いものは自分の栄養として取りいれ、逆に新しい環境に飛び込むことで気付けた今までの自分にあった悪い面を恥じ、忌み、反省し、矯正していくことを繰り返してある意味適応のようなことを今もしているわけだけど、このAURAの主人公もざっくり言えばそんな過去と決別して改善した人間であって、そんな人間の前に自身が決別した過去の恥じ、忌み、反省し、矯正を繰り返す以前の自分自身のような存在を目の当たりにした時の心境というのにたまらなく共感を得た。自分はよく思うんだけどクラス内だったり社会の中だったりグループの中に存在する暗黙の了解的なルールだったり規則の線を気にせずに無知に堂々と振舞うのは無知であるが故に強くあることもできるとも思うんだけど、やっぱどんな逸脱者も出る杭のごとく叩かれるだろうしそういった経験を経て目に見えない記されてもいないルールや規則を知って改めてから初めて過去の無知な自分を振り返ることはとても恥ずかしいし自己憐憫にも陥ると思う。そうやって痛みを伴いながら学んでいった後に過去の自分のような無知に振舞う存在が目の前に現れる、それはすごい嫌悪感があって自分が主人公の年齢と同じくらいの頃にそういった状況に直面したら問答無用で拒絶すると思うんだけど物語の主人公は右往左往しながらも手を差し伸べ救済する。救済するっていうのは視点による違いで語弊があるかもしれないけど主人公サイドから見れば救済になると思う。
そういった視点から楽しめたこのAURAにも節々に色々な作品で田中ロミオが触れている「個」であることの強さと「群」になることで個人ではなく群という一つの意識を持った存在についてが触れられているなと思った。特に舞台が多感な学生が学び舎とする学校のクラス内での話となるとわかりやすすぎるくらいわかりやすかった。自分が通ってた学校にも経験があったけど強すぎる個性は粗があればあるほど叩かれたもんだったし。クラス内での全体主義的な動きはこの作品で触れられるくらいどこにでもあったんだなって思った。

で、肝心の映画の内容はヒロインの花澤香菜ちゃん演じる良子ちゃんの可愛らしいところは余すことなく映像化されていて、心地よさと痛みを味わなければいけない場面が文章だけでは補えない部分をこれまたしっかり映像化されていたと思う。特に登場人物の声優の配役は完璧だったと思う。っていうか主人公は文章以上に主人公していたと思う。かっこよすぎて終盤の畳み掛けは涙が止まらなかった。ED曲も最高だったしイメージソングののっちの曲もかっこよすぎる。欲を言えば80分は短すぎた・・・。